黒光りする大理石の壁にズラリと並ぶ、ミシュラン三つ星、Forbes五つ星、Wine Spectatorグランドアワード——ここはシンガポールの威厳そのもの、『Les Amis』。その堂々たる佇まいに、思わず背筋が伸びる。ドアを開ける手にちょっとだけ力が入った。でも、そこでふと立ち止まる。「Les Amis」って、“友人たち”って意味じゃなかったっけ?

その名の通り、足を踏み入れた瞬間から空気が柔らかくなる。パリッとしたジャケットを着たスタッフが、まるで旧知の友のように、温かく、自然に迎え入れてくれる。構える間もなく心がほぐれる。この場所には、三つ星の緊張感と“友人の家”のような安心感が、同居している。

本来なら、名物の19品フルコースに挑むつもりだった。しかしこの日は、旅の疲れか、やや体調が万全ではなく……。迷った末に選んだのはプリフィックスコース。でも、それでもこの店の真価は十二分に伝わってきた。プリフィックスの前に供されたアミューズは4品。どれも小さな皿ながら、明確な個性があり、料理の精度と美意識がしっかり伝わってくる構成だった。
まずは「カリフラワーのムースとキャビア」。小さな器に盛られた真っ白なムースの縁に、淡い緑のドットソースが並び、その見た目の美しさに思わず目を奪われる。スプーンを入れると、下からたっぷりのキャビアが現れるという仕掛け。カリフラワーの自然な甘さと、キャビアの塩味とコクがしっかりと調和し、口あたりも驚くほどなめらか。

続く「コンテチーズとビアンド・デ・グリゾン」は、若いチーズのミルキーさにスイスの干し肉の塩味が寄り添い、バランスのいいひと口サイズ。自家製のミニクロワッサンは小ぶりながら香りが立ち、層の重なりも美しく、バターの余韻がほどよく広がる。

そして締めに登場するのが、「カペリーニのキャビアとトリュフ添え」。『Les Amis』のシグネチャーの1つだ。冷製の極細パスタの上に、キャビアと黒トリュフがたっぷり重ねられ、香り・塩味・食感、それぞれが引き立て合うような完成度の高さ。小さな一皿ながら、印象はくっきりと残る。

プリフィックスの一皿目は、「インペリアルオシェトラキャビアとサーモンタルタル」。上には艶のあるキャビア、その下にサーモンのタルタル。さらに飛び子と少しのケッパーも隠れていて、塩味とコクに細かいニュアンスが重なる。

続いての温前菜は「スコットランド産ホタテのロースト」。ダイバーが手摘みで獲ったというホタテは、レアな火入れで仕上げられ、噛んだ瞬間の弾力とじんわりと広がる甘みが魅力的。パセリのピューレと海苔、エクストラバージンオリーブオイルの香りが一体となり、貝の旨味にグリーンな風味を添えてくれる。添えられたイカスミのチュイルがパリッとした食感を与える。

次に登場したのは、季節感たっぷりの「栗のスープ」。器の中央には、しっとりローストされたフランス産の豚バラと、香ばしく火を入れたアルディッシュ産の栗が並ぶ。そこにテーブルで注がれるのは、ぽってりとしたなめらかな栗のポタージュ。ほんのり甘みを残した栗のコクと、豚の旨味がじんわりと溶け合い、パール状の玉ねぎが控えめながらも立体感を添える。香り、舌ざわり、温度感まで含めて、静かな幸福感に包まれるような一皿だった。

メインは「シャラン鴨のロースト 洋梨のキャラメリゼ添え」。黒に近いほど香ばしく焼かれた皮目と、しっとりとロゼ色の肉質。そのコントラストにまず目を奪われる。ナイフを入れれば滑らかに刃が通り、噛めばじんわりとした赤身の旨味とすっと消える脂が広がる。添えられた洋梨のキャラメリゼは、甘くとろける果実感で鴨の野性味を優しく包み込み、生姜のラヴィゴットが余韻をピリリと引き締める。

デザートはクレメンタインのコンポジション。コルシカ産のクレメンタインを模した外観の中に、シャーベット、アールグレイのゼリー、柑橘のクーリが重なる。スプーンで割って中をすくうと、冷たさと香り、爽やかさと深みが口の中で重なり、食後にぴったりの軽やかさ。余韻の長さまで含めて完成度の高いデザートだった。

どの皿にも共通していたのは、余計な力みのない、素材の扱いと構成力の確かさ。そして、それを支えるのが、完璧に近いホスピタリティ。タイミング、言葉遣い、空気の読み方。スタッフ一人ひとりが場を穏やかに、でもプロフェッショナルに整えてくれる。きらびやかな実績に圧倒されそうになっても、ここではそれを感じさせない柔らかさがある。今回は万全の体調でなかったぶん、よりそのホスピタリティが沁みたように思う。また来たい。そして今度は、体調万全で19品のフルコースを味わい尽くしたい。ご馳走様でした。