シンガポール美術館の奥座敷に潜む、アジア美食界の頂点『Odette』。世界が認めたミシュラン三つ星にして、Asia’s 50 Best RestaurantsではアジアNo.1の常連。ここはただのレストランではない。シェフ・ジュリアン・ロワイエが、フランス・カンタル地方で祖母オデットと過ごした記憶を、今の技と感性でアップデートした場所。素材を慈しみ、香りを設計し、時間を料理する──その一皿一皿には、家族の原風景と料理人としての現在地が映し出されている。

その物語の序章として供されるのが、三種のアミューズ「グリニョタージュ」。「中トロとコシヒカリのカナッペ」は、海苔の香ばしさと中トロの脂に米の甘みが重なり、まるで寿司のエスプリをひと口に詰め込んだよう。

「シマアジと大葉の包み」は、透明感ある味わいに青い香りが抜ける清涼な仕上がり。

「チーズと生ハムのドーナツ仕立て」は、ふわっと軽い揚げ生地に熟成の香りが漂い、余韻まで上品にまとまっている。どれも一口で完結する完成度で、コースの幕開けにふさわしいテンポと余白を携える。

そして、最後のアミューズにして10年にわたり出される定番、「マッシュルーム・ティーとマッシュルームトースト」。カップの底には炒めたマッシュルーム、くるみ、そばの実。そこに泡立てたマッシュルームのエスプーマがのり、熱々のマッシュルームティーを注ぐと、香りが一気に立ち上がる。液体と個体、生と火入れ、温度と香味のレイヤーが折り重なり、旨味が立体的に広がっていく。

添えられたトーストはクロワッサン生地の中にトリュフ、上には薄く削ったホワイトマッシュルーム。軽やかでいて、しっかり記憶に残る。これがアミューズだという事実に、驚きを隠せない。

コースの最初は「ボタンエビとキャビア」。透き通るようなボタンエビに、キャビアの塩味とコクが重なり、柑橘の皮と柚子胡椒のニュアンスが香りに奥行きを加える。主張は控えめながら、素材同士の距離感が心地よく、ひと口ごとに静かな余韻を残す。

横に添えられた「バフンウニとブリオッシュ」は、こんがり焼かれた小さなブリオッシュにウニを重ねた一品。濃厚なウニの甘みと香り、パンの塩気と香ばしさがふっと交差する。

続く「クラブ“コントラスト”」は、冷たい・温かい・熱いの温度差を軸に、甘辛や食感の違いまで楽しませる三部構成。小鉢のクラブサラダは冷たく、シャキシャキとした歯ざわりに、レムラードとベアルネーズの酸味とコク。ソルベが香りを引き伸ばし、爽やかに仕上がっている。

メインの蟹脚はほんのり温かく、中心はレアでしっとり。青さを感じる香味のソースが清涼感を添え、蟹の甘みを引き立てていた。もう一品は、熱々のパン生地に包まれたひと口。中からチリクラブ風味のソースがとろりと広がり、辛味と熱が立ち上る。三様の温度とアプローチで、素材の奥行きを引き出す構成だった。

「オニオンのミルフィーユ仕立て」は、オニオンとトリュフを交互に重ねた構造そのものが主役。薄くスライスされたそれぞれがぴたりと層を成し、口に入れた瞬間、甘みと芳香が一体となってほどけていく。ベースにはブランバターと鰹出汁が静かに染み込み、土台の旨味を下支え。仕上げにさらにトリュフを削りかけ、香りに厚みを加える。ネーブルオレンジの酸味、クルトンの歯ざわりが全体の輪郭を引き締め、重なり合う香味にリズムを生んでいた。

「スコットランド産ブルーロブスター」は、しっかりとした食感の強さがまず印象に残る。火入れは抑えめで、身の弾力と甘みをきっちりと引き出している。合わせるのは京都の白味噌と日本酒を使ったブールブランソース。まろやかなコクがロブスターの旨味を優しく包み込む。チコリ(エンダイブ)のほろ苦さが全体の味を引き締め、濃厚になりすぎずバランスを保っていた。

そしてメインは「カンポットペッパーをまとったピジョン(山鳩)」。皿の上に描かれたソースのラインとともに、胸肉と脚を美しく対比させた盛り付けは、構図そのものが一皿のアート。

胸肉は絶妙な火入れでしっとりと仕上がり、ピジョン特有の野性味を、カンポットペッパーの華やかな香りがやわらかく引き立てる。トピナンブールの香りと黒ニンニクの甘みが寄り添い、イチジクの葉のオイルがそれらをまとめ上げる。そして脚の部位には内臓の風味が仕込まれ、一口ごとに異なる顔を見せる。美しさに目を奪われながらも、中身には複雑な設計が潜んでいる──そんなギャップが印象的だった。

デセールの締めくくりは「Loulou」。フランス語で親しい誰かに向ける愛称らしく、店名の「Odette」が祖母の名に由来することを思えば、これもまた家族の中での呼び名だったのかもしれない。白いドームの中にはレモンやヨーグルトのムース、シトラスのソース。軽やかで甘さは控えめ。やさしく整えられた構成に、その名前がふと重なる。意味を知ることで、この皿が少しだけ近くに感じられた。

素材と向き合い、香りを組み立て、皿の上で記憶に変えていく。その積み重ねがコース全体に一貫して感じられ、三つ星という評価にも素直に頷ける内容だった。改めて『Odette』という店名がシェフの祖母の名前に由来することを思い出す。日本の食材が随所に登場するコースは、自分にとっての記憶とも静かにリンクしていた。なぜここに来るべきか──その答えは、一皿ごとにそっと語られていた。ご馳走様です。