シンガポール、マリーナの中心に構えるリッツカールトン。その中にある『Summer Pavilion』は、ミシュラン一つ星を誇る広東料理の名店だ。リッツカールトンの落ち着きと華やかさに包まれつつ、店内は驚くほど活気にあふれている。美味しいだけじゃなく、どこかに文化の体温を感じる。そういう料理に出会えると、旅がちょっと豊かになる。
この店の料理を長年支えてきたのが、エグゼクティブシェフのチョン・シウ・コン氏。香港出身で、2003年から『Summer Pavilion』に所属。素材本来の味を引き出す広東料理の王道を大切にしながら、火入れや蒸し、皮の厚みひとつにも神経を研ぎ澄ませる。目立ちすぎず、しかしぶれない。その姿勢が料理全体の芯となっている。

前菜のひとつ目は「キャビアと海老の茶碗蒸し」。小ぶりながら香りと塩気の組み立てが巧みで、蒸しのなめらかさにキャビアの存在感が映える。もう一品は「紫蘇の葉のフリットに黒トリュフ」。サクッと軽い衣に、紫蘇の青さとトリュフの香りが立ち上がる。素材の輪郭を際立たせ、はじまりとしては心地よく、佇まいに相応しい品格がある。

そして、圧巻は旧正月の名物「イーサン(魚生)」。鮑、クラゲ、大根、人参、干し野菜、ナッツ、そして揚げた皮のようなパリパリとした食感パーツまで。

全員で一斉に箸を伸ばし、「撈起(ローヘイ)!」と声を上げながら豪快に混ぜ合わせる。軽やかな野菜のシャキシャキ感、鮑の弾力、揚げパーツの香ばしさが重なり、味わいの主軸には甘酸っぱいプラムソースとふんわり香るシナモン。冷菜でありながら、食感の層と香りの広がりに奥行きがある。混ぜる所作そのものが祝祭であり、料理以上の体験となる。こうして異文化の祝い方に触れられるのも旅の醍醐味のひとつ。

「白魚の唐揚げ」は、サクサクと軽い衣に、ピリ辛のアクセントが効いた一口サイズのつまみ。

「湯葉の春巻き」は外カリ中とろで、しっとりした餡とのコントラストが心地よい。

「焼売」は2種。どちらも蒸しの技術が冴え、透明感ある皮の中から、ふくよかな旨味がじゅわりと広がる。定番にして、隙がない。

「タロ芋の揚げ物」は、表面をカリッと揚げて、中はほくっと甘く。香ばしさと自然な甘さが同居する、素朴な食材の格上げアプローチ。ローカル感あるタロ芋をここまで洗練させる手つきに、この店らしさが滲む。

「林檎の木で燻したダック」は、皮目が艶やかに輝き、ぱりっと香ばしく、肉はしっとりジューシー。スモーキーな香りの奥に、林檎のやさしい甘さがほのかに残る。華やかな料理が続く中で、骨太な主役。

「酢豚」は、ドライパイナップルを皿の下に敷いた構成が印象的。凝縮された果実の甘みと酸味が、揚げた豚のコクを支えるように広がっていく。世界中で繰り返されてきた“酢豚×パイナップル”の組み合わせに、これはある種の答えかもしれない。笑

「ビーフン」は、海鮮の旨味を封じ込めた餡が全体を包み込む一皿。蟹、海老、野菜の風味が麺に絡み、締めくくりとして申し分ない構成。食べ応えはあるのに、口当たりは軽やか。

最後のデザートは、小さな菓子が三点。まるで和菓子のように、ひとつずつに佇まいがあり、静かにコースの余韻を整えてくれる。

この店で最も心に残ったのは、旧正月の「イーサン」。みんなで声をかけ合いながら混ぜるその所作に、食を通じて文化にふれる喜びがあった。ただ美味しいだけではなく、知らなかった祝いのかたちや空気を感じ取れたことが、旅の記憶として強く残っている。料理のひと皿ひと皿にも、そうした静かな豊かさが行き渡っていた。ご馳走様でした。