奈良・紀寺町。穏やかな町並みに静かに溶け込むように佇む料理店『白(つくも)』。その名は、「百から一を引いた九十九」に由来するという。足りないことを屋号に据えたのは、完璧を常に追い求める姿勢と、まだ足りないと自覚する謙虚さ、そんな成長に欠かせない精神が込められているのではないか。料理に触れ、空間に身を置いていると、自然とそんなことを思わされる。完成のその先へ、手を伸ばし続ける料理人の姿が、そこにはあるように感じた。

ご主人は、『嵐山吉兆』で研鑽を積んだ人物。格式を重んじる世界で磨かれた所作と感覚はそのままに、いまはより自由に、季節や文化と向き合っているように見える。火入れや出汁の取り方は極めて真っ当でありながら、素材との距離感や構成に、独自性が宿る。古典の文法をなぞるのではなく、自分の言葉で語り直すような料理だ。そしてもう一つ、この地に根ざす姿勢も印象的だった。奈良の野菜、奈良の風土、奈良に息づく文化。食材だけでなく、祈りや風習までも皿にすくい上げるようなアプローチがある。
その精神性をもっとも端的に表すのが、「絵馬」と題された一皿。絵馬の形を模した板の上に、二本の串が並ぶ。黒豆と白豆の生麩田楽に、それぞれ黒トリュフと白トリュフを重ねた造形。奈良は絵馬の発祥地とされ、古くは黒馬と白馬を描いて天候を祈ったという。その文化を、料理として映し込んでいる。さらに今年の干支──午年にも呼応した意匠。核の胡麻豆腐は、2ヶ月半の熟成でチーズのようなコクを生み、発酵の技もそっと添えられている。見た目に遊びがありながら、奥には土地と季節への敬意が潜んでいる。

他の皿もまた、静けさの中に芯の強さを持つ。
先付けの「クエ」は、遠火の炭火で丁寧に皮目を炙り、香ばしさとほどよい脂を引き出す仕立て。火の入りは芯まで穏やかで、クエ特有の弾力を残しながらも、舌に吸い付くような柔らかさに仕上がっている。出汁の含ませ方も見事で、噛むほどに旨味がじんわりと滲み出す。赤大根と白ウドのシャキッとした歯触りが、食感の緩急を作っていた。

「蟹の真薯椀」は、蟹の身をライスペーパーで包むことで、繋ぎを使わずに成形する構成。その発想がまず印象的だ。しっかりと形を保ちながら、口に含むとふわりとほどけ、蟹の甘みが静かに広がる。椀には、間引き人参や蕪、大根など、自家農園で育てているものも含めた季節の野菜が添えられている。途中で加える蟹味噌が味を一変させ、まるで別の料理にすら感じられた。

「造り盛り合わせ」はまさに技法の博覧会。マグロの漬け、寒ブリと辛味大根、アオリイカの湯引きと生このこ、寒ヒラメのチリポン酢、金目鯛、雲丹。そして柚子の器に詰められたシャリ。どの刺身と組み合わせるかは、食べる者の選択に委ねられている。これほどアプローチの幅があると、食の楽しさそのものが可視化されてくる。

次の一皿は、奈良・若草山で一月に行われる伝統行事「山焼き」そのものを、料理の構造で表現。皿の上に置かれた醤油板の表面に、もろみやピンクペッパーがあしらわれ、香ばしさとともに調味料としての役割を果たす。そしてこの板をどかすと、大和芋の山揚げや蕨、こごみ、筍などの山菜が顔を出す。焼かれた山の下から、新たな命が立ち上がる──山焼きの風景をそのまま皿に置き換えたような、土地の記憶と季節の巡りを味わう一品だった。

続く椀物は、稲庭うどんの原型とされる石州麺を使った構成。麺の上には一番出汁と銀餡、下には酒粕と白味噌の合わせ地。山椒の香りが全体を軽やかに引き締め、味の重なりに奥行きを与えている。中には揚げ、湯葉、豚肉、季節の野菜などがそっと潜んでいて、どこか雑煮を思わせるような豊かさがある。重ねられた出汁の温度や香りの層が印象的で、まるで味覚で立体を組んでいるかのようだった。

主菜の「大和牛の炭焼き」には、火入れで甘みが際立つ“ヒウチ”と、赤身の旨味が濃い“クリ”の二部位を使用。どちらも力強い旨味を持るが、ここで味変に注目。木肌の実のペーストがしっかりとした苦味で輪郭を整え、肉の存在感を引き締めていた。薬のように感じられることもある山の苦味を、ひと匙で美味しいに変えてしまうあたりに、料理人の腕が垣間見える。

〆は「炊き込みご飯」。鮑とムカゴをあしらい、肝のニュアンスが米に深みを与える。蓬莱もち米の独特の粘りがそれを優しく受け止める。二杯目にはとろろをかけて、味のコントラストを柔らかく楽しむ流れ。

この店の料理は、その背景には揺るぎない構築力と、奈良という土地への深いまなざしがあることに気づかされる。伝統の形式に学びつつ、あくまで自分の言葉で語り直す料理。そこには、文化も季節も、そして自身の足元までも見つめようとする眼差しがあった。完璧を追い求めながら、まだ足りないと自らに言い聞かせる。その姿勢が、料理に、器に、空間に、そっと表れていた。ご馳走様でした。
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白
0742-22-9707
奈良県奈良市紀寺町968
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