京都・福知山の山奥。人里離れた地に、料理の常識を覆す小さなレストランがある。『NOMI RESTAURANT』——この場所を動かすのは、若き三兄弟。彼らが追い求めるのは「切れ味」。だが、それは単に鋭利さを競う話ではない。「切れ味に、味がある」という哲学の実践。包丁の精度が、ここまで料理の本質に影響することを知らなかった。

冒頭を飾るのは、その思想を象徴する「究極の一枚」。0.0025mmという極限まで削られた鰹節が登場する。まるで鏡面のような表面、そして削る音さえ生まれない静寂。口に含めば、熱を帯びる前に溶け、香りだけが舌に残る。この一片で、すでに世界観が伝わる。

続く「DASHI 0.8」は、その鰹節を使った出汁。1番出汁の手前、“0.8番”と名付けられた一杯は、香りと旨味のバランスを極めた透明な液体。出汁とは、引き算で作られる芸術なのだと痛感する。旨味を削り、香りを引き出し、雑味は一切ない。まるで祈りのような出汁である。

次に登場するのは「KIREAJI×藤本純一」。神経締めで名を馳せる漁師・藤本氏とのコラボレーション。彼の技術は「魚に死を悟らせない」締め方だが、KIREAJIの哲学もまた同じ。切られた野菜はストレス反応を起こさず、苦味も香りの濁りも出さない。素材が素材であり続ける、尊厳を損なわない調理法だ。「鯛」や「いさき」の料理では彼らのその哲学が鮮やかに体現されている。歯がすっと入る刺身、さらさず提供される香り豊かな薬味。一切のストレスを感じない味わいに、思わず頷いてしまう。

「茶碗蒸し」では、自家育成の卵を使用。鶏には鹿肉なども与え、家畜化される前の味を追求。野趣の中にある滋味に心を打たれる。

「猪×菜」では、春先に仕留めた猪と山菜の炊き合わせ。ネギが山盛りなのに臭みが一切ないのは、切れ味の恩恵か。

事件級だったのが「人参×KIREAJI」。切断面は光を放ち、口に入れれば甘みがほとばしる。まるでフルーツ。しかも使っているのはスーパーの人参。ここでも証明されたのは、道具ではなく“意図と精度”が味を決めるという事実だ。

そしてもう一つ、強烈な印象を残したのが「きゅうり」の一皿。左右に置かれた二切れ。違いはただ一つ、切れ味。しかも、切断されたことにすら気づいていないような表情——まさに「A cucumber that doesn’t realize it’s being cut(切られていることに気づかないきゅうり)」という言葉がぴったりの存在。食感も香りももはやただのきゅうりではない。

「飯」は、土鍋と銅釜で炊いた米の食べ比べ。炊飯のわずかな温度と時間の違いが、香りや食感に如実に表れる。米一粒が語る世界の奥深さに、目を見張る。

続けて供されるのが「鹿と猪の合い挽きハンバーグ」。手切りの豚バラを加えて重たくならないよう調整し、味のバランスを保つ構成。この一皿の完成度には息を呑む。

「麺×KIREAJI」では、はったい粉で打った麺を一本ずつ包丁でカット。そして、天橋立の浅利出汁、そして山菜で構成された一皿。

最後は「紅茶のアイスと野生茶」。甘さに頼らず、香りと余韻で構成される締めの一品。身体が最後に感じるのは、“整った”という感覚だ。

三兄弟は、幼少期から刃物職人・藤原氏のもとに通い、今でも一日5時間を包丁研ぎに費やすという。その徹底が、味覚に、そして料理の哲学にまで昇華されている。NOMI RESTAURANTは、料理と包丁と命に向き合い続ける者たちの静かな、しかし揺るぎない覚悟を感じさせる場所だった。
ご馳走様です。
—
NOMI RESTAURANT
0773-59-2255
京都府福知山市三和町下川合710-3
https://tabelog.com/kyoto/A2608/A260802/26037575/