港区・西麻布。賑やかさや華やかさが先行するこの街に、そっと火を灯すようにして生まれた新しい場所がある。
店の名は『徒然』。囲炉裏の火を中心に据えたその空間は、便利や効率とは真逆の豊かさを教えてくれる。料理はゆっくりと、しかし確かに仕上がっていく。蒸し、焼き、炊く――火のそばに寄り添いながら。ただ火を眺め、語らい、時を過ごす。そんな静かな時間が、都会のど真ん中で体験できるという贅沢。

料理の起点となるのは、中央に据えられた囲炉裏。その火は、単なる熱源ではなく、演出であり、会話のきっかけであり、調理の中心である。蒸籠、串焼き、灰焼き、塊焼き、鍋。ひとつの火から派生する、実に多様な調理法。だが同時に、囲炉裏という時間のかかる熱源ゆえ、待ちの時間も生まれる。その空白を埋めるかのように、コースは囲炉裏料理とそうでない料理が交互に構成されている。揚げ物や和え物、炊き合わせといった包丁と出汁の仕事が、焼きの工程に優しく寄り添うようにして流れをつくる。待たせないための配慮と、流れを整えるための構成力。その両方が、料理の背景にきちんと宿っている。

さあ、囲炉裏のぬくもりとともに、一皿ずつその時間をめくっていくとしよう。
「白魚揚げ(青森県) 唐墨」は、その繊細な食感と香ばしさの対比が印象的。衣の軽やかさの中に、からすみの風味がふんわりと立ち上がる。

「レタス巻き 椎茸 生麩」は蒸籠から登場。肉団子をやさしく包み込んだレタスに、椎茸の餡がそっと寄り添う一品で、まるで春先の布団のように穏やかな包容力を感じさせる。

「真鯵(神奈川県小田原) 山菜」は、なめろう仕立て。素朴で温かな田舎の風景を呼び起こしながら、山菜のほろ苦さがアクセントに。

「串焼 鰭(神奈川県佐島)」は火の仕事が光る一本。脂の香りと焼きの香ばしさが調和し、シンプルながら奥行きのある味わい。

茶碗蒸しには「桜海老(富山県)」を使用。出汁のうま味を引き締めるように、香ばしさと甘みがやさしく広がる。

「長崎県荒木さんの馬鈴薯」は、営業前から囲炉裏の灰の中に隠していた一品。信州の郷土料理“灰ころがし”の面影を感じさせ、仕上げはまるでジャーマンポテトのように遊び心がある。

「厚揚げ 若布 蕗」は、炊き合わせのような趣。出汁をたっぷりと含んだ厚揚げと若布、蕗の食感が交互にやってきて、春の山を歩くような気分にさせてくれる。

メインの「雲仙赤牛(長崎県雲仙)」は、囲炉裏で塊のままじっくり焼き上げる。

ともさんかくとマルカワ。部位ごとに異なる表情を見せつつも、火が一つという共通項が、それらを穏やかにまとめてくれる。

「京鴨 春の豆 檸檬」はむね肉のロースト。レモンの香りがふわりと抜け、鴨の旨味に爽やかな光を差し込む。

「猪鍋(長崎県平戸)」では、出汁のまろやかさと猪肉の旨味が共演。囲炉裏の火が、その湯気にさえ温もりを与えているように思える。

そして、客自ら焼く「焼きスカモルツァ」は、ピザトースト風に提供される。遊びの余白が用意された構成に、店の余裕が感じられる。

〆は「筍ご飯 にこまる(長崎県諫早)」。目の前で炊かれるという事実がすでに嬉しい。噛むほどに、土の香りと米の甘みが混じり合う。

そしてデザートには「あまおう」。出版祝いの心遣いも添えられ、火を囲む時間は最後までやさしく包み込んでくれた。

もうひとつ記しておきたいのが、ワインのセレクト。ブルゴーニュやシャンパーニュなど、ワイン通もうなる銘柄が並び、この囲炉裏の空間でそれらを楽しむという意外性が、ひときわ印象的だった。火のゆらぎがグラスに輝きを与え、その景色が、この店ならではの豊かさを一層際立たせている。
『徒然』が教えてくれるのは、便利さでは測れない“時間”の味わいだ。五感を澄ませ、語らい、香り、触れ、噛みしめる。囲炉裏を囲むという、古くて新しいスタイルの中に、人が集うことの根源的な意味が込められている。「徒然」とは、本来“することもなく、ひま”という意味を持つ言葉。だが、そのひまこそが、人と火を近づけ、料理と会話を深め、心をゆるめてくれる。何もしない時間に、何かが満ちていく――そんな逆説こそが、この店の一皿一皿に宿っているように思えた。
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徒然
03-6910-5433
東京都港区西麻布1-4-22 アートスクエア西麻布 2F
https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13305860/